もし今の時代にシェイクスピアが生きていたら、どんな詩を詠むのだろう。と思います。
新型コロナの影響により、人と人との間には距離を置くこととなりました。
昔から日本では”間合い”と言いまして、剣を構え相対した時、そこから内は切っ先の中、懐です。
まさにこの1間(約180センチ)の距離が身を守る距離と現代で規定されるのは、不思議なものです。
新型コロナ時代の新しい振る舞い 社会的距離
社会的距離・ソーシャルディスタンス
これは今回のコロナ禍が起こるまでは、物理的な距離のことではなく心理的かつ行動様式としての『社会との距離』。つまり人間関係に距離を置いて人付き合いを減らす、という意味での用いられ方だったように思います。
安倍総理大臣、また多くの方々がこの社会的距離の必要性を訴えています。SNS上でも音楽家が音を奏で、役者がメッセージを発信します。
伝え方、伝わり方。
今この時代にもしシェイクスピアが生きていたら、彼ならどう伝えていたのだろう。
William Shakespeare, sonnet No. 47
シェクスピアのソネット47番に、この詩があります。
Sonnet 47
Betwixt mine eye and heart a league is took,
And each doth good turns now unto the other:
When that mine eye is famish’d for a look,
Or heart in love with sighs himself doth smother,
With my love’s picture then my eye doth feast
And to the painted banquet bids my heart;
Another time mine eye is my heart’s guest
And in his thoughts of love doth share a part:
So, either by thy picture or my love,
Thyself away art resent still with me;
For thou not farther than my thoughts canst move,
And I am still with them and they with thee;
Or, if they sleep, thy picture in my sight
Awakes my heart to heart’s and eye’s delight.
いわゆる、愛の詩です。
ソネット47番
私の眼と心の間に条約が成立し
今は互いに手を取り合っている
私の眼が一目見たいと渇望する時
あるいは愛する心がため息で塞がれる時
私の眼は愛の絵とともに宴を開き
私の心をこの絵の宴に招待する
時には私の眼は心の客となり
愛の思いを分かち合うこともある
君の絵や私の愛によって
二人離れていようとも いつも君と私は共にいる
君は私の「思い」の届かぬところへは行けぬのだ
私はいつも「思い」と共にあり 「思い」はいつも君のそばにいるのだから
たとえ「思い」が眠っても 眼の中の君の絵姿が
私の心を目覚めさせ 心と眼に彩りを与えてくれる
(私訳)
あなたに今会うことはできない。
しかし二人の距離が離れれば離れるほど、二人の愛は広がり、広大な海より広く、深淵な海溝より深く、遥かな峰々よりも高くなる。
時も距離も、どんな嵐がきても、私達の「思い」を引き裂くことはできないのだ。
Social distances, 社会的距離。
死者、感染確認者の数を聞くたび、その方々のことご家族のことを思うと涙が出そうになります。
どんなに距離が離れようと、会えない日々が続こうと、私達の絆は強く、必ずやこのコロナ禍を乗り越えられるものだと信じています。
一日でも早く、この苦境を乗り越えビヨンド・コロナの大海原へ漕ぎ出す時が来ることを願ってやみません。