ふるさと日本、参拝と決意
8年間の学びから帰国します。26歳の時です。
帰国後すぐ、私の『東生』の名を戴いた千葉県の東大社、そして地元の産土さんである菅原神社へ帰国の報告と無事のお礼の挨拶をかねて参拝へしました。
境内で手を合わせ、祈ります。
「無事帰国致しました。これまでありがとうございました。」
これまでの8年間で見てきた人の生き死に。間近で触れてきた社会の発展と頽廃。報告をしながら、「さて、これからどうしよう。」正直に、心の中でそう思いました。
その時、「これまで生かしてきてくれた命の恩をお返し致します。私のできる最大のことは学んできた政治というものでふるさとへ尽くして参ることでございます。」
と、自然と胸の内から言葉が出てきました。
これが、私の、地元の政治と向き合うことになったきっかけです。
一方で、帰国後は中国山東省の済南にて浄水事業に携わり、また母方の血縁の関係で神奈川の神社を手伝っていました。この間の経験も大変に得難いものでした。
卒論では「ありとあらゆるものの正確な対比、細部に宿る魂を見抜くこと、この積み重ねによる精査と相互理解が政治の本質であり、今後の世界で国土・国民・国家間の紛争をなくすためには、未だ存在していない『国土主権』たる思想を構築する必要がある」と記していましたが、多分に漏れず実生活にそうそう役立つことはありません。
まぁしかし、地方議会で働くうえで国家観が即座に活きる、というより、自由民主党青年世代として物事を俯瞰的に見、両極に正義はあるのだという視点は非常に大切にしています。
27歳で出馬宣言、丸1年間週4回朝の役に立ち、28歳で板橋区議会議員となりました。
未来への責任、そして継続性。
政治とは、他に勝てばいい、自分が強ければいい、この地域だけ潤えばいい。そんな考えで築かれてきた砂上の楼閣は、盛者必衰の理が表すとおりです。また、人心や社会の荒む姿が容易に想像できます。
今で言えば、政治への無関心、若年層の投票率低下は、これまで自民党や政治が積み重ねてきてしまった自己欲のせいではないかとも思います。
壊さねばならないものは、勇気を持って壊さねばなりません。限られた資源で揚々とした未来を創造しなければなりません。
私は、破壊と創造のプロセスを街で、議会で、政治で、やり続けなければなりません。それが、これまで生かしてもらった人生と、見聞きし体験してきたものを社会へそして未来へ還元するという私の恩返しの気持ちであり、青年議員としての義務だからです。
過去を知り、今があるから、未来へすすめる。この思いを胸に、あらためて4月の選挙に臨みます。