水の通り道のゆがみは、30年後に影響する〜成増ACTの建設

西友成増店の建っている場所には、かつて川が流れていました。

当初の案は、こんな図面でした。成増ACTと成増駅北口ロータリー。

 東武東上線の成増駅北口にあるロータリーとACT HALL(アクトホール)。この場所にはかつて、百々向川(ずずむきがわ)という暗渠の川が流れていました。
 約30年前、この場所で開発行為が行われる際に水の流れの少なかったこの暗渠を河川解除し、まさに『切断』をした、という歴史があります。

この写真は、百々向川が流れ込む旧白子川。しかし水はない。

 百々向川(ずずむきがわ)。
検索をするとスズメキと呼んだりススメキと呼んだり、と散見されますが、地元では『ズズムキガワ』、周辺地域をズウコウと呼びます。珍しい名前なので、ちょっと解説をしたいと思います。

 名前の由来について、実は<百々向川>という名前は暗渠になるときに統一された名前だそうです。地元の田中孝治さんから以前教えていただきました。
 元々、現成増小学校周辺の川には<谷津田川>という名前がついており、訛って<やすだ川>とも呼ばれていたそうです。光が丘公園の手前に水が沸いている沼があり、ここが源流となっていたようです。光が丘公園の中では?という話もあります。その先にある赤塚には<谷津>という地域があるので、名前の由来にきっと関係があるのでしょう。

1のあたりが、百々向川とズウコウ

 川を下り白子川に合流する辺りの現在「ずうこう」と地元の人々が呼ぶ地域、成増北口通り商店街の周辺。これは昔あったとされる瑞光寺にちなんでいますが、その一画に<百々向>と呼ばれる場所がありました。そのため、短い川ではありますが上手を<谷津田川>、下手を<百々向川>と呼んでいたようです。
 どこがヤツダとズズムキの境目なのか定かではありませんし、両呼び名が併用されていたのかも知れません。いずれにしても昭和の中頃、この川を暗渠にする際に当時の地域の実力者が<百々向川>へと名前を統一したそうです。

水の通り道を歪めることは30年後の豪雨被害に影響を与える?

 さて今から30年前、アクトホール建設と成増駅北口ロータリー整備にあたり、建物の位置がちょうど百々向川と重なりました。当時暗渠としてほとんど水の流れのなかったこの川は切断をされ、この部分は河川としての指定を解除されました。上流部分は暗渠の跡が残るも干上がっており、下流部分は東京都下水道局が雨水貯留管を埋め集中豪雨対策に利用しています。

 とは言っても、もともと川のあった場所です。数千年数万年の歴史の中で水の流れによって地形は形成されます。急激な治水対策は自然に屈します。

 上流の一部では、駐車場となっているコンクリ舗装を打ち破り、常に水が染み出して冬場に歩道や道路を凍らせています。
 下流では、どんなに貯留管を埋める対策を行っても30mm/h以上の集中豪雨に太刀打ちできず道路冠水がしばしま起こります。

対策としては、例えば湧水の逃げ道を作るために、湧水公園や井戸を設けて水のはけ口を作る。例えば、ビルや建物を避けて直角に曲がっているような下水雨水配管にバイパスを作る。などがあると思いますので、すすめていきます。

 雨には雨の流れる筋、水の通る道があります。それは川となって海へとつながります。戦後、東京都内の水路は暗渠として蓋され治水対策が施されてきました。しかし自然を圧倒するのではなく自然と協調し共存していく都市整備の重要性が、建設から30年建った地元アクトホールを見上げるたびにひしひしと感じます。